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東京地方裁判所 昭和54年(ワ)12011号 判決 1981年8月26日

原告 甲野花子

右訴訟代理人弁護士 浅見昭一

右訴訟復代理人弁護士 土肥倫之

被告 乙山春子

右訴訟代理人弁護士 藤岡秀樹

同 佐藤勝

主文

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  原告

1  被告は原告に対し、金一〇〇〇万円およびこれに対する本訴状送達の日の翌日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言。

二  被告

主文同旨。

第二当事者の主張

一  原告の請求原因

1  原告は、昭和二八年四月七日甲野太郎と婚姻し、同年七月五日長男一郎をもうけて、親子三人の家庭生活を送っていたところ、右太郎と、芸妓のかたわら適当な客と売春していた被告が知り合いとなり、右太郎は、昭和三八年一二月ころ、対価を支払って被告と肉体関係をもつようになり、その後、被告は、右太郎に妻子があることを知りながら、昭和四八年八月までの約一〇か年にわたって断続的に不貞行為を続けた。これによって、原告の平和な家庭は破壊された。

2  被告は、その間、昭和四二年八月四日右太郎の子ではない乙山夏夫を出産したが、これがあたかも右太郎の子であると偽り続けて、長期間右太郎を苦しめ、かつそれをたねにして、原告に脅迫電話を繰り返し、かつ原告夫婦の共有の財産となるべき合計約二〇〇〇万円の金員を騙取し、原告の健全な家庭生活を物心両面にわたって破壊した。

3  さらに、被告は、昭和四六年一月二日、右太郎に原告という妻があることを知りながら、右太郎の子である乙山秋夫を懐胎、出産し、昭和五二年に至り、この子を代理し右太郎を被告として前橋地方裁判所中之条支部昭和五二年(タ)第四号認知請求事件を提起した。これによって被告は、右太郎が妻である原告に対し負っている守操義務、健全な家庭生活の育成に努むべき義務の違反に加担した。

4  右の三点にわたる被告の不法行為によって、原告は筆舌に尽しえない精神上の苦痛を蒙った。これを慰藉すべき金額としては金一〇〇〇万円が相当である。

5  よって、原告は、被告に対し、被告の右不法行為に基づき、右金一〇〇〇万円およびこれに対する本訴状送達の日の翌日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する被告の認否

1  請求原因1の事実中、前段は被告が売春をしていたとの点を除いて認める。後段は否認する。

2  同2の事実中夏夫出生の点は認めるが、その余は否認する。右太郎より被告が原告主張額より少ない金員を受取ったことはあるが、これは右太郎の意思で被告の生活費などとして交付されたものであって、原告に対する不法行為となるものではない。

3  同3の事実中、前段は認め、後段は否認する。女性がいったん妊娠した以上、正当な事由のない限り堕胎することは法の許さないところであるから、子供を生むことは当然であり、また、既に生まれた子を母が代理して父に対し認知を求めるのはこれまた法律上当然であるから、これが原告に対する不法行為を構成するものでないことは、明らかである。

三  被告の抗弁(消滅時効の援用)

1  請求原因1のような被告と太郎との不貞行為が不法行為を構成するとしても、不貞関係は昭和四八年八月ころまでには終っていて、このことを原告は当時から知っており、そのころから既に三年を経過した。

2  請求原因2の事実が仮に不法行為を構成するとしても、右金員の授受などがあったのは昭和四七年が最後であって、このことを原告は当時から知っており、そのころから既に三年を経過した。

3  請求原因3の事実が仮に不法行為を構成するとしても、被告が太郎の子秋夫を出産したのは昭和四六年一月二日であり、被告が秋夫の親権者としてこれを代理して浦和家裁に認知請求の調停申立をしたのは昭和四八年五月であって、このことを原告は当時から知っており、そのころから既に三年を経過した。

4  よって、右いずれの点についても、損害賠償請求権は時効によって消滅しているので、被告は本訴において右時効を援用する。

四  被告の抗弁に対する原告の認否

1  抗弁1の事実は否認する。

2  同2の事実は否認する。

3  同3の事実は否認する。すなわち、原告が、秋夫が太郎の子であることを初めて知ったのは、前橋地方裁判所中之条支部昭和五二年(タ)第四号認知請求事件の審理中に提出された鑑定人古川研作成の昭和五三年七月五日付鑑定書を見たそのころであり、秋夫が太郎の子であることを確信するに至ったのは同じく提出された鑑定人渡邊日章作成の昭和五四年八月二九日付鑑定書を見たそのころであるところ、原告が被告の不法行為によって最も強く精神的苦痛を受けたのは、右の二つの鑑定結果によって秋夫が太郎の子であることを確信するに至ったときであるから、原告は右の苦痛(損害)を初めて知ったのはそのころということになり、したがって、その損害賠償請求権は時効によって消滅していない。

第三証拠《省略》

理由

一  (請求原因1について)

1  原告は、昭和二八年四月七日甲野太郎と婚姻し、同年七月五日長男一郎をもうけて、親子三人の家庭生活を送っていたところ、右太郎と芸妓をしていた被告が知り合いとなり、昭和三八年一二月ころ両名は肉体関係を結ぶようになり、その後、被告は、右太郎に妻子があることを知りながら、昭和四八年八月までの約一〇か年にわたって断続的に不貞行為を続けたことは、当事者間に争いがない。

2  右の被告の行為は、原告に対する不法行為を構成するというべきところ、右のとおり被告の不貞行為は昭和四八年八月には終わっており、《証拠省略》によれば、原告は右のことを遅くとも昭和四八年中には知っていたことが認められ、右認定をくつがえすに足りる証拠は存在しない。右の時点から、本件記録上明らかな本訴提起(昭和五四年一二月四日受付、同月一三日被告に送達)による損害賠償請求時まで既に三年を経過していることは明らかである。

3  だとすれば、被告の不貞行為を理由とする原告の損害賠償請求権は時効によって消滅しているというべきであり、被告の抗弁1の主張は理由がある。

二  (請求原因2について)

1  被告が昭和四二年八月四日乙山夏夫を出産したことは当事者間に争いがない。《証拠省略》によれば、結果的には前橋地方裁判所中之条支部昭和五二年(タ)第四号認知請求事件の判決(昭和五五年一〇月三〇日言渡、確定)によって親子鑑定などにより夏夫は太郎の子でないことが確定されたことが認められるが、他方、《証拠省略》によれば、夏夫が懐胎した直後に被告はこれを太郎の子であると信じて太郎にその旨伝え、太郎も胎児のときから自分の子であると思っていたことが認められ、彼我対照して考えれば、右内容の裁判確定の一事から、被告が夏夫を太郎の子でないと意識しつつ、ことさら太郎の子であると偽り続けたと推認することは困難であり、他にこれを認めるに足りる証拠はない。また、《証拠省略》によれば、被告が昭和四八年八月ころ太郎が被告から手を引いた直後に、原告宅に電話をした際、原告から売春婦などとののしられたこともあって、「早く別れろ、死ね、お前は交通事故で死ぬぞ、早く離婚しろ、絶対別れてやらない」などと脅迫まがいのののしりを言ったことがあるほか、それまでにも、昭和四一年ころから何度かときには深夜にわたって原告宅に同趣旨の電話をしたことはあるが、その電話も昭和四八年八月直後(昭和四八年中)の右電話をした後は、とりたてて脅迫電話をしたことはなく、このことを原告は知っていたことが認められ(る。)《証拠判断省略》さらに、《証拠省略》によれば、太郎は被告に対し昭和三八年一二月ころから昭和四七年八月ころまでの間にその生活費などとして合計一〇〇〇万円を超える金員を渡していることが認められるが、これを被告が太郎から騙取したと認めるに足る証拠は存在しない。

2  そうすると、請求原因2の事実中、被告の不法行為が成立する可能性があるのは、脅迫まがいの電話をしたことだけであるが、仮にこれが違法性を帯びるとしても、右のとおり昭和四八年中には右の電話は終わっており、このことを原告は知っていたのであるから、右時点から本訴損害賠償請求のときまでに既に三年を経過していることは明らかである。

3  だとすれば、原告のいう脅迫電話が仮に不法行為を構成するとしても、これを理由とする損害賠償請求権は時効によって消滅しているというべきであり、被告の抗弁2の主張は理由がある。原告の請求原因2の主張は、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。

三  (請求原因3について)

1  被告は、昭和四六年一月二日、右太郎に原告という妻があることを知りながら、太郎の子である乙山秋夫を懐胎、出産し、昭和五二年に至り、この子を代理し太郎を被告として前橋地方裁判所中之条支部昭和五二年(タ)第四号認知請求事件を提起したことは、当事者間に争いがない。

3  原告は、右の子の懐胎、出産、認知請求が不法行為を構成すると主張する。なるほど、妻のある夫であることを知りながら、これと肉体関係を結ぶ者は、受胎調節が容易にできる現在においては、これによって非嫡の子を懐胎しないように、事前に避妊の措置を講じて受胎を回避すべき義務があり、これを講じないで懐胎するに至った場合には、不貞行為とは独立に、子の懐胎自体について不法行為責任が成立すると解すべきであるが、右義務に違反していったん子を懐胎してしまった以上、優生保護法一四条に規定している除外事由に該当する場合を除いて一般に人工妊娠中絶をすることが禁じられているわが法制下においては、子の出産自体をとらえて不法行為責任を負わすことはできず、また、認知制度が設けられている趣旨に照せば、いったん非嫡の子を生んでしまった以上、その認知を求めうるのはいわば子およびその親権者などの権利であるというべきであるから、認知請求それ自体をとらえて不法行為責任を負わすことはできないものと解すべきである。

3  そうすると、被告は太郎に妻たる原告のあることを知りながら非嫡の子秋夫を懐胎したのであるから、この点について不法行為責任を免れないといわなければならない。

4  そこで被告の抗弁3についてであるが、原告は、子の出産などの不法行為に基づく損害賠償請求権の消滅時効の起算点は、親子鑑定の結果によって子が夫の子であることを確信するに至ったときである旨主張する。しかし、右のとおり不法行為責任が生ずるのは子の懐胎自体についてであり、このことによって原告の損害は発生するというべきであるから、子の懐胎を知った時点が時効の起算点であると解すべきである。そして、前述のとおり、被告が太郎の子である秋夫を懐胎したのは、出産日である昭和四六年一月二日より前であることは明らかであり、《証拠省略》によれば、原告は右懐妊の事実を遅くとも、被告が秋夫を代理して昭和四八年五月浦和家裁に認知請求の調停申立をし、原告宅にその出頭呼出がなされた昭和四九年六月(太郎が台湾滞在中)までには知っていたものと認められ(る。)《証拠判断省略》右の時点から本訴損害賠償請求のときまでに既に三年を経過していることは明らかである。

5  だとすれば、子の懐胎を理由とする原告の損害賠償請求権は、時効によって消滅しているというべきであり、被告の抗弁3の主張は理由がある。

四  (結論)

以上の次第で、原告の本訴請求は理由がないので、これを失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 梶村太市)

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